プロローグ
[私の学園改革体験から]
学園改革をしなければならない・・・・。そう実感したのは、2001年の春でした。
「生徒が集まらない」 「現場の活動に統一性がない」 「トップに方針がない」
そうした意識が急速に強まり、閉塞感と圧迫感を感じるようになりました。
「学園のために、生徒たちのために、何かできることがあるはずだ・・・・」
しかしいくら考えても、経営的な知識もなく、経験もあるわけではありません。
まずは他校の様子を把握し、生徒の意見を集約するところから始めました。
併せて、経営戦略やマネジメント関係の書籍を読み漁るようになりました。
時間とお金は大量にかかりましたが、トップに意見・提案できるようになりました。
入試の手法といった小手先のものではなく、運営自体に口を挟んでいます。
私はまだ、勤続15年にも満たない、無役の「募集担当」委員でしかありません。
一地域担当であり、普段は営業活動に駆けずり回っています。何しろヒラですから。
そんな私にも、理事会や執行部が「経営」・「入試」の相談をくれるようになりました。
自分の熱意で、学校側の及び腰(逃げ姿勢)を崩すことができたと感じています。
これは、学園の「ぬるま湯」体質を変える、貴重な第一歩であると信じています。
ところが!いざ変革を推進しようと思った時、思わぬことに気づきました。
現場教員に、危機感がまったくと言ってよいほど生まれていなかったのです。
これはショックでした。また絶望も覚えました。すべてが振り出しに戻ったのです。
「危機感の醸成が急務である。改革以前に、世の中が見えていない・・・・。」
そう確信した私は、特に若手に危機感を植え付ける活動に専念し始めました。
公立改革のこと、法改正(改悪)のこと、経営戦略のこと、営業活動のこと、
視点のあり方のこと、市場原理のこと、給与・賞与の危機、入試改革・・・・・・。
数えればキリがありません。「校外に目を向けよ!」が口癖になりました。
同時に、経営セミナー参加回数や、書籍購入数が爆発的に増えました。
校務との板ばさみで苦しみ続ける日々が続いたのを、今でも忘れません。
私を突き動かしたのは、「何とかしなければ学校が潰れる!」という思いでした。
月1ペースのセミナー参加、50本以上の資料購読、調査研究の日々・・・・・・。
大変だと思われますか?でも、私はその中に希望と喜びを見出していました。
「必ず学園を立て直してみせる」という自負と自信が強まっていったからです。
その様子を見て、若手教員たちの中から数名が、助け舟を出してくれました。
「先生、若手の勉強会を発足させましょう!やらなければ学校が壊滅します!」
うれしい提案でした・・・・。私には「相談役兼指導役」の依頼が寄せられました。
困難だったのはそこからです。若手の中には危機感の欠如した者が多かった。
「どうやってあのバラバラな若手をまとめればよいのだろう?」との不安が・・・・。
2003年の秋、信頼し合う後輩たちと、「若手勉強会」の構想を練り始めました。
部活動にしか目が向かない、講習にしか目が向かない、何にも目が向いていない。
そんな若手も、私の職場には多かったのです。理屈では「危機」を理解していながら、
みんな自分の得意分野に逃げ込むことで、将来への不安から逃避していたのです。
私は若手教員の中から、人望の特に篤い教員を数名、ピックアップしました。
「無気力派」 「部活一辺倒派」の甘えを断ち切るために必要な人員の召集でした。
そして「若手勉強会」の運営骨子をまとめ、統一的危機感の醸成に勤めました。
結果、「若手勉強会」が発足し、学園の状況について協議・団結する場を得ました。
今では「若手勉強会」の提案が、学園側を動かすまでに変化を見せています。
他方で、私は毎月、理事会と執行部に提案書を出し続けました。
また2004年の春休みには、そのトップに対して「宿題」も出しました。
期待通りの回答を得るまで、気づいたら、2ヶ月以上もかかっていました。
つまりそれだけ、トップには、明確な方針と事業計画が欠如していたのです。
今、そのトップとともに学園の将来に関する構想を作成する立場にいます。
そういう人間がいない場合には、誰かがパイプにならなければなりません。
それなら自分が、トップと現場の意識をつなぐパイプになればよいのです!
ここで、読者の皆様にひとこと言わせていただきます。
学園の将来を悲嘆するのは、後回しにしませんか?
できることから、一つずつでも始めてみませんか?
私のように、ヒラ教員でも学園を変えることはできます!!
理屈を捏ね回す前に、可能な限り動いてみましょう。
できない理由を考えるのは、時間の無駄遣いなんです!
動き出す者には、道を切り開く機会が与えられるのです。
動かない者には、その機会さえも訪れないのですから・・・・。
「危機的状況を打開したい!」そのシンプルな気持ちが大切です。
2001年 春
危機的状況に不安を生じ、個人的に経営戦略などの学習を始める。
2003年 秋
「若手勉強会」の構想を練り、数名の後輩と共に準備会を立ち上げる。
2004年 初頭
「若手勉強会」正式発足。「ご意見番」就任依頼を受け、議長補佐役になる。
↓ ↓ ↓
同僚たちの意見を集約し、今後の「学園のあり方」を考察・整理。
2004年 3月
≪業態改善計画の提案書綴≫を、宿題として理事会・執行部に提出。
2004年 5月
理事会より、全教員に「事業計画書」が初めて配布される。ほぼ要請通り。
このスムーズな流れを生み出すことができたのも、一途に思い込んだ結果です。
また、私の苦しみと理想を、後輩やトップに伝えることをあきらめなかったからです。
過ち(学校方針の)を改めるのに、何の「遠慮」と「恥ずかしさ」が要るのでしょうか?
学校は、生徒のために動いてこそ価値ある存在。文字通りのライフプランナーです。
今からでも遅くはありません。因襲と惰性があるなら、取り除こうではありませんか!
長文を最後までお読みくださり、まことにありがとうございます。
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