
なぜ改革が必要なのか |
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あなたがこのHPをご覧になった理由は何でしょうか。
改革のヒントをお探しなら、最後までご一読ください。
しかしお手軽な方法論をお探しなら、すぐにお帰りください。
その程度の発想では、とうてい学園改革などできません。
学内一の「提案王」にならなければいけないのです。
それには、色々な条件と制約が必然になってくるのです。
昨今、私学を取り巻く状況は厳しくなる一方です。
釈迦に説法、かも知れませんが、本当に認識は十分でしょうか。
そもそも、あなたはなぜ「学園改革」をしようと考えたのですか。
あなたの学校に受験生が集まらないからですか?
それとも、自分の思う通りに学校が動いてくれないからですか?
はたまた、不出来な教員(いろんな意味)が多いからですか?
それだけの理由なら、「改革する意義は薄い」と言えるでしょう。
なぜだか、お分かりになりますか?
その理由を考えても答えが見つからなければ、
自分自身を改革する必要があると言えるでしょう。
それは、あなたの視点が「教師」という立場で凝固し、
生徒の視点を持ちきれずに留まっているからです。
なぜなら、学校を改革するには、「生徒」や「受験生」の眼で、
学校を客観的に見ることが不可欠だからです。
「そんなことは言われなくても分かっているよ!」
と言いたいでしょうね・・・・・・。
では聞きますが、あなたは本当に生徒たちから、
100%の信頼を得ていますか?
あなたの勤務する学校は、本当に受験生たちから、
100%の信頼を得ていますか?
答えは「No」ではありませんか?当然のことです。
教師だって人間です。長所もあれば、短所もあります。
学校だって組織です。同じことです。
聖人だけで教員社会が構成されているとは言えませんよね。
だからこそ、あなたはここへ来たのではありませんか?
「学園改革」は、そんな当たり前のことを、
明確に(!)意識しなければ実現されないのです。
特に私立学校は、こうしたことを忘れた時点で、
学校としての存在意義を失ってしまいます。
まず、自分自身の眼を疑いましょう。
そして自分自身を変えましょう。
「教師」としての視点は重要ですが、
それだけでは「学園改革」はできません。
「教育」を標榜し、「原則論」だけを言うのでは、
学校を変革することはできません。
あなたは自分の学校の損益分岐点を知っていますか?
学校のコア・コンピタンスを明確に説明できますか?
あなたの学校の目指すものは何ですか?
その実現のために、何をどのように実践していますか?
あなた自身、その中でどのような役割を担い、
どのような結果をこれまでに出しましたか?
ぶしつけな質問ばかりして、申し訳ありません。
しかし、これには理由があるのです。
私学は業務の性格上、「教育産業化」しているのです。
道義的な意義のほかに、マネジメントも必要です。
経営第一主義に走っては元も子もありませんが、
経営手法も現実的には考えなければなりません。
このホームページではそのバランスを考えながら、
「学園改革」のヒントを提示していきたいと思います。
私自身の学園改革経験をもとに構成していきます。
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教師が落ちていく「深い落とし穴」 |
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私も教師の一人です。毎日、学校の現場で生活しています。
しかし、奉職以来、落胆と憤怒の日々を過ごしてきました。
まるで鉄面皮のような教員を目の当たりにしてきたからです。
「教師はこんな、恥知らずな仕事じゃないはず」と思い続けてきたのです。
皆さんも同じ気持ちかもしれませんね。
教師が忘れがちなのは、自分が「組織の一員」であるということ。
クラスや部活動では「山の上の御大将」になりがちなのです。
そしていつしか、生徒に謝る謙虚ささえも失っていくのです。
「立場上、生徒の前で恥はかけない」という気持ちはわかります。
しかし、本当にそれで良いのでしょうか。
教師は皆、自分の得意分野に逃げ込む性質を有します。
本人は「自分は学校に貢献している」と思っています。
ある一面では、本人の言う通りかもしれませんね。
でも本質は違います。他の仕事から精神的に逃げてしまうのです。
また、得意分野を優先するため、自己研鑽を避けるのです。
一例を挙げましょう。パソコンが良い(悪い?)例でしょう。
「PC派のA先生に頼んでしまおう。自分は○○で忙しい。」
ただこれだけの判断で、パソコン技術を修得しようとしない。
言いぐさはこうです。「自分は機械音痴だから・・・。」
あなたの学校にも、こういう教員、いませんか?
理由をこじつけて、新しい自分へのチャレンジを避ける人。
好きなことばかりに気が向いていて、周囲の要請に応えられない人。
そう、教師は言い訳の達人なのです。そうして人にも自分にも甘える。
あらゆる場面で新知識の習得を避けて通ると・・・。
結果は当然のことながら「使えない教師」の完成品です。
最悪の場合、授業能力までも低下する危険性があります。
それだけでなく、組織にとって大変な重荷となってしまいます。
先に「組織の一員」と書きました。一匹狼では何もできません。
「自分は孤高だ」などと考えるに至っては、狂気の沙汰ですね。
そういう教員には、大事なことを忘れさせてはいけません。
我々は生徒に生かされている、ということを・・・。
生徒の人生を、欺瞞や自己満足の犠牲にさせてはいけません。
ましてや保身、または利害のダシにするなど、もってのほか。
常に生徒の人生を真剣に考え、ともに悩むのが仕事のはずです。
この考えは企業のCSと、なんら変わるところがありません。
Customer Satisfuction(顧客満足)という考え方です。
(※ これについては機会を改めてご説明いたします。)
忘れないでください。私学の経営源は公的資金ではありません。
募集の成否は、一般企業の売り上げ競争の結果と同じことです。
市場が受け入れてくれなければ、学校と言えども貧窮します。
私は「教師性悪説」を唱えているのではありません。
教師の弱点を見据え、学校マネジメントを導入することを勧めたいのです。
私学の「勝ち」は、すなわちその学校の「価値」によるもの。
「学校」としての組織が勝たない限り、仕事は不十分なのです。
末端教員でも、経営者と同じ視点で考えることが重要です。
昨今、私学では経営(運営)能力が厳しく問われています。
上層部に任せきり! 現場に押し付け! どちらも破綻は必至です。
組織としての運営を考え、組織としての成功を呼び込む。
それも、現場の声で「学校」を「勝ち」に導くべきなのです。
現場が鳥瞰的視点を持たなければ、学事が混迷するからです。
「勝つこと」とは、「学校」の「価値」を高める作業を言うのです。
「得意分野に逃げ込むな」・「自分の世界を広げよ」
言葉では簡単ですが、教師がもっとも苦手とするところです。
改革の旗手となろう者は、まず自分を高めることを優先する。
発言内容に威厳と努力がにじみ出て、初めて改革は歩き出します。
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学園改革の基本 |
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私の勤務する学校には、「若手勉強会」があります。
学園に危機感を持った数人の若手教員が発起しました。
もちろんお気づきですね。入学者数の低迷がきっかけです。
それだけではありません。深刻な問題が他にもあります。
人数集めのために推薦入試の基準も下げました。
その結果、学園の将来に不安を覚えるようにもなりました。
私はその「若手」の最長老です。(30代後半です)
グループ内で、いわば「ご意見番」的な存在となっています。
現在、私から下の年代の教員が、全員所属しています。
正直に言えば、「みんなお子様だな」という気持ちです。
どの若手教員を見ても、「物足りない」と思うのです。
自尊心が高い人。また逆に自信がない人。そういう人が多いのです。
しかし本校では、この「若手」の意見が学園を動かしています。
少なくともこれまでに、いくつかの改革の端緒を開いてきました。
「物足りない」若手の教師集団が、ですよ。意外ですよね。
話し合いの成果ともいえますが、もっと重要なことがあります。
これには理由があるのです。とても当たり前のことです。
単純なことで、「ルールを守り、筋を通す」からなのです。
「若手勉強会」発足に向けて、学校側への相談を重ねました。
つまり学校側への配慮を欠かさなかったということなのです。
理事会や執行部にも「メンツ」というものがあります。
簡単に考えないでください。メンツをつぶしてはいけないのです。
上層部の「メンツ」をつぶしてしまうと、いずれ改革は破綻します。
その理由がおわかりになりますか?
なぜなら、必ず「第2のヒットラー」が生まれるからなのです。
現場の中から「オレ様!」が出現してしまうからなのです。
「トップよりもオレの方が優れている。黙ってついて来い。」
それは改革とは程遠い、「クーデター」に近い様相を示します。
こうした間違いを呼び込まないために、我々は思案しました。
その結論が「上層部と密接な意見交換をしよう」というものです。
方法として、「若手勉強会」で意見を集約し、まずトップへ。
トップの意見を聞き、持ち帰って再修正します。
(生徒のために譲れないものは譲らない)
次に、職員会議の議題として、公式に取り扱ってもらいます。
ここでベテランの意見と折り合いをつけることになります。
最後に上層部の判断で、結論を出してもらうのです。
そうすることで、上層部は我々の配慮を受け入れてくれます。
その結果、比較的スムーズに改革への糸口を作れます。
このようにして、いくつもの学園改革を実現させています。
あなたがもしトップだったらどう受け止めるか、を考えるのです。
これが現場の声を学園改革に反映させる秘訣です。
正面からトップとぶつかっては、何もまとまらなくなります。
意地を張ってはいけません。また、卑屈になってもいけません。
学園の将来を真剣に考えた意見なら、堂々と提示しましょう。
手順を踏み、筋を通し、焦らないことが肝要です。
ことの大小に関わらず、大変重要なことなのです。
学園改革は上層部との戦争ではありません。
上層部を巻き込む方法をどう考えるか、が改革の第一歩です。
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「専門バカ」の壁 |
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世間ではよく「学者バカ」という言い方をしますね。
教師もまた「専門バカ」になりやすい性質があります。
確かに得意分野がなければ、それこそ教師など務まりません。
しかし、「○○しかできない」教師ほど、迷惑なものもありません。
学校は校務分掌が明確です。(それ自体は否定しません)
しかし、その枠の中に閉じこもることがあるとしたら・・・・。
ちょっと想像してみて下さい。こんな指示がきたらどうしますか?
「君は退職まで○○指導部だ」 「君は退職まで○○クラブだ」
恐ろしいことだとは思いませんか・・・・・・・・。
恐怖感を感じないとしたら、もはや改革者にはなれません。
校務全般、何がきても対応できる。これは最低限ですから。
進路、生活、教務、総務、部活動、補習講習・・・・。
生徒のためには必要不可欠な職務ばかりですよね。
でも、その中の特定分野に逃げ込んではいませんか?
先の指示の例は、「君は無能なんだよ」と同じ意味なのです。
教師なら、校務全般、人並みにできていて当たり前。
どれか一つ欠けても、生徒からの信頼を得ることはできません。
当然、周囲にも負担をかけますから、存在自体が迷惑です。
(ただし、責任感からすべてを背負い込んでは逆効果です)
どの学校でも一番ありがちなのは、特定の部活動にはまるタイプ。
一線を越えると、部活動を基準に学校を語るようになります。
他の分野でも「○○分野至上主義」は百害あって一利なし。
生徒たちが傷ついていることにさえ、気づかないことでしょう。
自分の信条や主義を、不特定多数の生徒に強要するだけです。
トップから「あなたはぜひ○○の担当に」と言われたら要注意。
裏返せば「○○にしか向いていない」という評価かもしれません。
現場でもそのように周囲から見られている危険があります。
そのまま凝固してしまうと「○○バカ」の誕生です。
必要なのは、鳥瞰的視点で、大局的に学園全体を見渡すこと。
もちろん、常に「生徒」の視点を忘れないことが大前提です。
下から学園を見上げていても、見えるものはごくわずか。
上から学園を見下ろせば、新たに見えるものがあるはずです。
「学校経営」そのものにまで、視野を広げましょう。 |
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私学のエネルギーを見せつけよう!! |
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私立学校の存在意義は、その「独自性」にあります。
昨今、その「独自性」が失われつつあるような気がしています。
時代の趨勢に逆らえない現実もあり、やむを得ないことは理解できます。
しかし、すべて横並びの「共学化」「中高一貫化」で良いのでしょうか。
その状況下でも「独自性」を維持・主張し続けてほしいと願っています。
公立学校・行政は私学を批判しながらも、私学のコピー作りに必死です。
先々への見込みの甘さから、統廃合案件が大量に発生しています。
公立・行政が刹那主義の改革を推し進め、受験市場は混乱の極みです。
主役である子供たちを不安に陥れ、なんら恥じることがありません。
ある公立高校の校長は「私学つぶしが学校改革の目標だ」と豪語。
ある行政の重役は「小中6:3制」を「5:4制」に変更すると発言。
(もちろん、私学への攻撃を目的としているのです)
ある行政では私学を敵視して、単年度2期制を強行(現場は混乱)。
私学希望者を苦しめれば、私学志向が消えると考えているようです。
他にも行政側の問題行動・言動は、皆さんご存知の通りです。
彼らの目的は「私学を敵視し、つぶすことが目標」なのです。
「より良い教育」という詭弁のもと、行政の立場を守りたいだけなのです。
そうした行政側の推進する学校改革は、安っぽい私学コピーばかり。
私学を批判しながら、やっていることは私学の「まねごと」なのです。
もちろん、高い理想を掲げて設立された私学とは、中身が全然違います。
公立の教員・生徒・保護者たちは、いかに苦しんでいることか・・・・。
私は職務上、公立中学の先生方とのお付き合いが多い人間です。
現場で苦しんでおられる先生方を、平素から目の当たりにしています。
2期制も、学区撤廃も、学制変更も、絶対評価導入も、見切り発車。
現場での運用を考えず、体裁だけを重視した現場イジメに等しい内容。
学校内で日々を過ごしている先生方・生徒たちは本当に疲弊しています。
公立・行政の学校改革が茶番であり、本質に迫らないことを知るべきです。
また、公私間の不平等も是正させなければなりません。
公立私立の間で、保護者の負担にどれほどの支払い格差があるか。
私学に信頼を寄せ、子供を入学させてくださる保護者の負担は過大です。
公立は、公立であるがゆえに、税金を湯水のごとく投入しています。
一方で安い授業料を金看板に、子供たちに対して欺瞞を通しています。
ハコモノだけは立派でも、指針がいい加減なら、教育とは言えません。
私学への助成を削減すれば、私学団体の活力を削ぐことができる・・・・。
なんという浅はかで無成長な発想でしょう。行政の体質は「改善」知らず。
その中で、正しい教育を模索して苦しむ職員がいることだけが救いです。
しかし、そうした現場主義の行政職員は、圧力をかけられてしまいます。
公明正大な政治・行政が実現することを、願い続けるしかありません。
公立であれ、私立であれ、生徒は自分で望んで入学先を決定します。
彼らの機会均等・平等学費が実現しない限り、「私学は損」と言われます。
逆に考えれば、高い授業料に見合った学事を提供するのが私学の責任。
私学は「独自性」を遺憾なく発揮し、偽善的な公立改革に対抗すべきです。
「共学化」「中高一貫化」が悪いとは言いませんが、横並びは危険です。
私学同士のつぶし合いだけは、避けなければなりません。
そもそも私学は、公立の未熟な点を補うことで発展してきたのです。
つまり私学は、その個々の存在自体が「独自性」そのものであったはず。
お勤め先の「建学の精神」を顧みれば、ご理解いただけると思います。
経営上、変化はやむを得ないところ。しかし、「プラスα」が重要です。
時代の要請に応えつつ、それでも「独自性」を維持し続けること。
今の私学には、こうした困難な課題が課せられているのです。
生徒や保護者の要望を、ただ丸呑みするだけでもダメ。
生徒の人格を無視して、学園の理想を一律に押し付けてもダメ。
教育は1対1の人間同士の付き合いから始まります。
学園はその「付き合い」の集合体で成り立っているのです。
私学の教員として、私学そのもののあり方を考えてみましょう。
そうすれば私学界における学園の位置づけが見えてくることでしょう。
私学は公立と違って「国民作り」が存立の目的ではありません。
シビライゼーションを意識し、情操豊かな「人材を育成」すること。
これまで、どの私学でも、この仕事を続けてきたはずです。
「少子化が何だ! 不況が何だ! 私学はいつでも公明正大だぞ!」
見てくれだけの公立改革など、どうせ破綻するのはわかりきっています。
気の毒なのは公立の現場にいる生徒・保護者・教員たち・・・・。
私学からは、そうした被害を出してはいけません。協力し合いましょう!
今の私学で最も弱っているのは、自己存在の意義を問う心意気なのです。
どのような「価値」を、いかなる形で提供していくのか、考察してください。 |
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学園の「カリスマ」であれ! |
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どんな業界でも「カリスマ」と呼ばれる人がいます。
神がかり的な、人を惹きつける魅力と職務能力とを兼ね備えた人物。
他の追随を許さない、その業界では「別格」と目される人物。
教員の世界からは、こうした人材はめったに輩出されません。
なぜなら、教員は不必要に公平性・平等性を求める人種だからです。
改革の火種を撒くのなら、それでも「カリスマ」になって欲しいのです。
私学界で言えば、先年ご逝去なさった、ある学園のある校長。
言葉の重み、高潔な態度、柔剛の調和、深謀遠慮、強い意志と信念。
あれほどの重厚さを持った人物は、私学界には数少なかった。
東京の私学の「顔」でしたから、責任感と実行力は別格でした。
私自身、あこがれて目標としている人物です。
到底、私が追いつける方ではありませんが、「目標」なのです。
理念確認 → 目標設定 → 戦略設定 → 戦略遂行 → 検証 → 理念確認。
この戦略実施サイクルの設定が、明確かつ強固でした。
他校の校長からも、信頼度は抜群でした。
もちろん私学界で「カリスマ」になるのは、絶後の困難を伴います。
そこまで行けとは言いません。でも、せめて学内ではめざして欲しい。
皆様にも「学内カリスマ」になって欲しいと思っています。
学園改革の「牽引力」として、存在感を示して欲しいのです。
そのために必要なのは、リーダーシップとマネジメント力。
もし、全教員を改革に巻き込めるのなら、職員会議でまとめてください。
それが不可能なら、そうした立場になって欲しいのです。
情報提供、組織の秩序維持、若手へのコーチング・・・・。
どれもこれも「リーダー」として重要な資質と言って良いでしょう。
ここで言う「リーダー」とは、改革の提案・推進者という意味でのこと。
現場の声を集約、吟味。これを課題化し、実践する能力が欲しいですね。
でもその前に、最も重要なのは問題発見力です。
狭い視野と低い視点で学園を見ていても、問題は顕在化しません。
学外にまで視野を広げ、経営者的な高い視点で学園を鳥瞰する。
世情に疎いようではダメ。もちろん学内の問題が見えなくても論外。
冷静に、客観的に、学園の問題点を見出す力が欲しいですね。
でもそれは「内向き」な目ではできません。学外にも目を向けましょう。
物事は比較して検証することで、新たな一面を見せ始めます。
場合によっては他業界からの情報収集、他業種との交流も有効です。
情報、現象、要因、人的資源、経験則、結果予想・・・・。
これらをパズルのように組み合わせていくことで、問題が課題に変わります。
したがって因襲に囚われない、柔軟な発想が必要です。
改革リーダーとして、立体的な視点を持ってください。
それと同時に、「マネジメント力」も欠かせません。
高い視点に立ち、視野を広げ、変化を読み取る力。
乱雑に散らばった問題点を、課題として再構築する力。
意識のベクトルがバラバラな現場教員を、前向きに統一する力。
学園の現状と、向かうべき方向性を、明確に説明できる力。
こうした、自分の中にある可能性を発揮し、周囲を巻き込んで欲しいのです。
マネジメントとは、形だけの経営・運営手法の変革ではありません。
組織に新しい風を吹き込み、組織力を高めることを言うのです。
組織が変わらなければ、「改革」もいずれは破綻してしまいます。
「リーダシップ」と「マネジメント力」、「カリスマ」には両方が必要です。
ただ単に「孤高の人」として活動しても、組織には何も還元できません。
組織の変革を第一課題とし、組織の力を引き上げ、組織に問題解決させる。
これこそ、「カリスマ」のあるべき姿なのです。 |
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